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橋の市

橋の市(だいたいこの辺でしょうか、これよりもう少し南、崑崙山脈のあたり?)
324p
 マヌの子孫は白島に留まりその人口は百に達し、やがて本島(…本土?)に渡って都市の建設に取りかかった。これはマヌが将来第五根人種の首都にする計画だったものである。
 市は海岸線より扇状に拡がり、20マイル(約32キロメートル)先の丘まで段々を描いて伸びていた。街路は幅広く、すべて白島に向かっていた。かくして全市は入念に計画され、入居することになっていた住民の千年先を見越していた。
これらの丘々より彼らは金属類や種々の色彩の石――白、灰、赤、緑、それに見事な紫色の斑岩――を採出した。
彼らはカルナック神殿の石よりさえ大きな石を用い、機械の助けを借りて吊し上げ、ローラーの上に乗せて運んだ。中には160フィート(約49メートル)のものもあった。マヌと補佐官たちは秘められた方法で石を軽くしたので石は軽々と持ち上がり、納まるべきところに納まった。
建築物はエジプト式の規模だったが外見はそれよりもずっと明るかった。白島の建物が特にそうで、ドームは基底部で膨れて先が尖り、全体としての形は蓮のつぼみに似ており、その中の折り畳まれた葉はねじりをかけられ、右巻き、左巻きの二つの螺旋が交差しながら重なっている。いくつもの巨大な建物の下の部分は物凄く硬い。尖塔ミナレットの頂は王冠状になり、アーチはまことに優美な曲線を描き、頂は妖精にも似た蓮のつぼみ状のドームになっている。

建設工事は幾百年にもわたり、工事の完成した白島はまことに驚嘆する美しさであった。島は上に向かって傾斜しながら頂点にいたり、そこには巨大な神殿がいくつも建ち、その神殿はすべて金を象嵌した大理石造りであった。
これらの建築群が全島を蔽い、それがこの島を巨大なる神殿を中心とする無比の聖都としている。大きなホールの上はドームになっており、特別の行事などの場合はそこに四柱のクマラ方が現れた。
街路は四つの放射状に造られ、中心の神殿で相会し、街路の端、たとえば10マイル(約16キロメートル)離れての眺めはこの上なく美しく、感動的であった。
西北から見るとメイスンリーで用いているシンボルの「大きな目」に似ており、いくつもの曲線が円筒状になるように遠近法で奥行きを縮めてしまうと、本土にある都市の暗い線は目の光彩にも似ていた。
神殿(複数)の内外は多くの彫り物で飾られ、メイスンリーのシンボルが多く含まれていた。
ある一連の彫り物は物理学及び化学における原子を表していた。他の原子と粒子たとえば活力(プラーナ)のそれなどは高肉彫りになっていた。
『白い島』と本土とは重量感のある見事な橋によって結ばれ、そのため、市は「橋の市」といわれた。


368p 紀元前9,700年ごろまでには、中央アジア王国には住民がいなくなってしまった。紀元前9,564年の大地変によって橋の市は瓦礫の山と化し、白島の多くが破壊された。



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